先日(2018年3月11日)、古河はなももマラソンにてフルマラソンに初挑戦しました。結果はほろ苦いフルマラソンデビューとなりました。
古河はなももマラソン敗北記
古河はなももマラソンとは
高校卒業以来、運動をほとんどやってこなかった私ですが、今回のフルマラソンへのチャレンジは税理士の井ノ上さんに誘っていただいたのがきっかけです。
参加したのは、3月15日の確定申告期限で繁忙期を迎えているはず(?)の税理士5人です。
井ノ上さんを除く4人の税理士が今回、フルマラソン初挑戦でした。
古河はなももマラソンの参加者は10,500人とのだけあり、多くのランナーが集まる大規模な大会でした。
それをはじめに実感したのが、赤羽から乗った宇都宮線でした。
早朝の宇都宮線の下りといえば、当然、余裕で座れるものと考えていましたが、大違いでした。
赤羽駅では列をなしており、宇都宮線では全く座れず。
乗客のほとんどが古河はなももマラソンの会場近くの古河駅で下車であり、古河駅は大混雑でした。
恐るべし、古河はなももマラソンです。
なお、古河はなももマラソンは、一緒に参加した税理士のモロトメジョーさんが下記リンクのブログで詳しく書いています。
(モトロメジョーさんのブログのクオリティーの高さに当ブログへ戻ってきてもらえないリスクがありますが、思い切ってリンクを貼り付けちゃいます)
古河はなももマラソンへの道のり
今回のチャレンジに向けてジョギングを始めたのは、11月後半からでした。
いきなりフルマラソンというのはとてもチャレンジングなので、まずステップレースとして選んだのが2018年1月21日に開催された第10回城南島羽田マラソンでの30kmマラソンでした。
結果はというと、24km地点で途中リタイアでした(+_+)
10㎞を過ぎた時点から左ひざが痛くなってしまい、それでもなんとか20km手前までは走り続けることが出来たのですが、その後は痛みから走ることができず、24km地点でリタイアすることにしたのでした。
本来であればこちらもブログの記事にする予定だったのですが、途中リタイアという屈辱感に苛まれた私はマラソンの記事を書くことができず、中途半端に城南島海浜公園を紹介する記事を書いています。
この時のマラソンで痛めたのは左膝の外側であり、整骨院では腸脛靭帯炎(いわゆるランナー膝)と診断されました。
その後は膝の回復と完走するための脚づくりを両立しなくてはということで、ペースを落として1km6分台後半くらいで10㎞から15kmを週末に走って調整していました。
幸い、練習では膝を痛めることなく、過ごすことができました。
シューズについても、アシックス銀座店で足の測定をしてもらい、自分の走力と脚の形に合った靴を店員さんに教えてもらって準備しました。
再び脚の痛みに襲われる
今回のマラソン大会では、ランナーの多さなどの大会の雰囲気にのまれました。
スタート地点から遥か後方のフルマラソン初チャレンジ組と思われる人混みの中からのスタートでした。
人の多さに慣れていない私は、前に人のいない環境を求めて、ついつい周りのランナーを抜かして前へ前へと進んでしまいました。
それでも練習のときと同じ1㎞6分後半のペースだと思い込んで。
しかし、実際にはそのときのペースは1㎞6分前後。
知らず知らずのうちに練習時よりもペースがあがっていたのです。
そして、異変を感じたのはスタートから8~9㎞くらいの地点でした。
城南島羽田マラソンで痛めた左膝が痛み出したのです。
しかも、以前よりも激しい痛みで。
その時点から走行不可能になり、脚を引きずりながら歩くことに。
痛みが引いたらまた走り出そうと思いましたが、痛みが強くなることはあっても、緩和されることはありませんでした。
42.195㎞を完歩できるか?
この古河はなももマラソンは、制限時間が6時間半です。
そして、それぞれの地点での制限時間は以下の通りです。
- 約10km地点:制限時間1時間55分
- 約30km地点:制限時間4時間40分
- 約36km地点:制限時間5時間30分
- 約39km地点:制限時間5時間50分
- 競技中止:制限時間6時間40分
脚が痛くなったときに思ったのは、1km9分30秒のペースで制限時間に間に合うということは、
「例え走れなくなってもはや歩きなら完歩出来るのでは?」
ということでした。
脚を痛めた地点から20km地点までは、早歩きで1km9分前後で前に進むことができていました。
多くのランナーに抜かされ、最後方を歩くことにはなりましたが、周りのランナーは私と同じように脚が痛くてもみんな頑張って歩いています。
10kmの関門を過ぎてしまうと、30kmまで関門がなく、脚が痛くて走れない程度だとリタイアしたくてもできないのですが(+o+)
ただ、脚を痛めているとやはり早歩きですら脚に負担になってきてしまいます。
20kmを過ぎたところから1km10分以上かかってしまうようになり、前に進むのがしんどくなってきました。
30kmの関門まであと1kmというとき、「最後尾車」という標識を掲げた車が通り、
「制限時間まであと8分です」
と声をかけられました。
そして、ようやく30kmの関門についた時には、数分時間オーバーとなっており、バスに回収されることになりました。
私の初マラソンは、30km地点で力尽きてしまったのです。
古河はなももマラソンを最後尾で走った時に見えるもの
アイキャッチ画像の写真は25km付近(?)の写真です。
最後尾近くでしたので、周りもほとんどランナーはいません。
ただ、先が長いということだけがわかるのみで、非常につらい状況でした。
制限時間が緩いとリタイアできない
上記の制限時間のところからわかるとおり、10㎞を通過すると次の関門は30kmまでありません。
そして、脚が痛い程度だと、移動収容車は全くもって声をかけてくれません。
自ら弱音を吐いて回収してくれという勇気もなく、走れなくなってから20kmも歩く羽目に。
制限時間がもっと厳しかったら、もっと早くバスに乗れたのに~と思ってしまいました。
沿道の声援は温かかった
沿道で声援を送ってくれる方々は、私のように脚を引きづって歩くランナーに対しても、
「がんばれ~」
と声援を送ってくれました。
「脚、痛いよね。大丈夫?」
という心配の声をかけてくれたり、コールドスプレーをかけてくれたり、と人々のやさしさに触れることができました。
小学生の中には、
「あの人、歩いているけど棄権じゃないんだ」
とつぶやいている者もいましたが…。
小学校の前でのランナーへ向けてのブラスバンド部の演奏は、私が通った時にはすでに終わっていて楽器を片付けていましたが…。
30kmの関門で制限時間オーバーだったとき、
バスが100メートル以上遠くに止まっていて、
「バスまでもう少しだ。がんばれ」
と声をかけられた時には、
「バスよ。お前がこっちに迎えに来てくれ」
と思いましたが。
バスに回収されると、体が冷えてきます。
バスを降りると寒くて走って荷物を取りに行きたくなりました。
しかし、もう私は走れません。
ゴールまでもう少しというランナーたちを横目に、寒さに震えながら鈍足で荷物引取り所へ向かいました。
それでもフルマラソンにもう一度チャレンジするのか?
敗因
今回の敗因は、いろいろとありました。
- 前日に発熱(予定されていた大学時代のゼミの教授の退官記念パーティーや最終講義に出席できず…)
- 大会の熱気におされ、平常心を失う
- 練習不足(12月~2月で走行距離が100kmを超えた月がなかった)
- 走り方のレッスンを受けに行かなかった
- 2月以降、体のケアを怠った
仕事の予定を入れすぎてしまい、準備不足でした。
フルマラソンにもう一度チャレンジするのか?
今回、フルマラソンにチャレンジした税理士5人のうち、井ノ上さん、モトトメジョーさん、前川さんの3名が完走しました。
完走した前川さんのブログは、マラソンへの満足感が伺え、うらやましい限りです。
そして、谷口さんと私の2名は、前哨戦の城南島羽田マラソンに続き、途中リタイア。
しかし、谷口さんはリタイアでも二つの大会の走行距離の合計が約42kmとネタのようなリタイアの仕方をしています。
それに比べ、私はネタにも何にもならないタダのリタイア。
これはもう、リベンジしないわけにはいきません。
マラソングッズもいろいろ買っちゃったし。
年初に書いたブログに今年の抱負として「マラソンサブ4達成」って書いちゃったし。
(サブ4どころか、「とりあえず完走しろよ」って感じですね。)
次こそは完走記をかけるよう頑張ります。。
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【編集後記】
マラソンを終えて二日。マラソンの疲れをいやす余裕もなく仕事をたくさんしてます。。
とはいっても、昨日はさすがに外に出ることができず、家にこもっての仕事でしたが。
今日は、初めての青色申告に向けて会計ソフトの導入をサポートしました。
3月決算の仕事がかなり増えてきたので、3月決算に関しては募集停止間近です。
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また、ブログの内容等に関する質問は、受け付けておりませんのでご了承ください。
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